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2006年8月

南回りと2006年8月のダマスカス+メリディアン・ダマスカス

今回は、羽田、関空、ドバイ、ダマスカスと南回りのルートだった。2004年までは北周りだったので今回が南回りでダマスカスへ行った最初の出張となった。フライトスケジュールの関係で午前中、ダマスカスへ着いた。これは、私にとってはやや、やりにくい。夕方着いて、夕飯を兼ねて情報収集して、翌朝からの方が仕事がしやすいのだ。しかし、そうは言っていられない。

レバノン情勢により、出張するか否か出発前に会議が持たれたが、明確な理由が無かったのであろう、続行となった。事前にダマスカスは避難民が来ているもののほぼ平常どおりとの情報を入手していたので、どのような情報で続行か否かを判断するのか、その点に興味があったが、その説明は無かった。実際にはシリア政府は臨戦態勢のレベルを一段階上げていた。よって、公共施設には、通常より多い当直者がいた。これは、通常の上級職員が輪番制で宿直を担当していた。

メリディアン・ダマスカス(カシオン山側)再び

ホテルは、前回と同じメリディアン・ダマスカス、カシオン山側の627号室。8階をリクエストしておいたのだが、まあ、カシオン側だから良いだろう。部屋の内装は変わらずアラビックをモチーフとしている箇所が少しある。壁には、ダマスカス旧市街の水彩画が飾ってあり、テーブルの上には赤いバラ、ダマスカスローズ?いや違うだろうな。天井にはメッカの方向を示すプレートが貼り付けてある。

今回の泊まってみて新たな発見、一階の奥のパン屋のとなりにサンドイッチと並んで寿司が売られていたこと、ロンドンのスーパーとよく似た内容だったので触手は動かず。

このホテル、場所は大変便利なのだがハイシーズンゆえか一泊朝食付き106ドルとやや高い。内容的には60−70ドルが適当だろう。

レストラン マダム・ダマスカス

ホテルの直ぐ近くに二つレストランがある。ホテルの玄関を出て、右に行き、一つ目の角を曲がった左側にマダム・ダマスカス、角を曲がらないで少し歩いた左側にシワール?がある。両方とも入り口にレストランのクラスを示す星が二つのプレートが掲げられている。

本当?のKFC

2004年にダマスカスへ来てから2年空いたが、変化といえば、とにかく車の数が多くなったことを今回も感じた。それから、KFCが出来ていた。本物らしい。以前メッゼにあったKFCはクウェート・フード・カンパニーとは違うようだ。

シリア南部スウイダ(Sweida)、ダラー(Dara'a)、クネイトラ(Quneitra) 日帰り

朝7時、ダマスカス出発、南部3県を回る。町の様子を見ないまま、移動、打合せは自問自答に陥る。

クネイトラはゴラン高原の町、遠くにアル・シェイクの山並みが望む。その向こうではレバノン、山の向こうに見える雲のような煙はイスラエルのミサイル攻撃によるものだという。戦火拡大を狙ってはいないので、ゴラン高原の国境の町は平穏だった。

ダマスカスへ行って、ダマスカスを見ず

ほとんどホテル、プロジェクト事務所、JICA事務所の往復でダマスカスを見ていない。

ダマスカスよ、どこにいるのだ!

Hama、Homs日帰り

朝、6時ダマスカス出発、Hamaで8時半から打合せ、10時半からHomsで打合せとなんだか急いでいる。シリアではこんなに急いではいけない。Homsで丁度ランチタイムだったが、シャワルマ屋がレバノン難民への炊き出し(シャワルマを難民へ支給するため)でお休み、では、いつものエンジニアリング・シンジケートのレストランでと個人的に思ったがどうもダマスカスへ急いでいる。こんなことではシリアは理解できないし、シリアだけではない。

ハマの打合せが8時半からだったので、シリアの持て成しに従ってコーヒーとパン(パイのようなパン)が出された。早朝、ダマスカスを出発しており、朝食は抜いてきたのでこれは小腹を満たすの丁度良かった。ハマのパンはとても美味しいとシリアでも評判らしい。

なぜか、下痢が続く

ダマスカスへ来てお腹の調子がおかしくなった。これまで到着して数日、下痢が気味のときが何度かあったがそれは直ぐに治ったものだ。しかし、今回は長いし下痢がひどい。水が合わないのだろうか、それとも睡眠不測?10日以上続いたので心配した。整腸剤を飲み、胃腸への負担を軽減すべく食事の量を減らして様子を見た、

(Augr.14, 2006)