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シリアの東北地方(Rakka, Dier-Ez-Zor, Hassakh)

シリアの東北地方(アルジャジーラ)、イラク、トルコに近い地方である、ラッカ、デルゾール、ハッサッケ県の地方支局を訪問した。

(Mar.4, 2004)

ダマスカス-イドリブ-ラッカーデルゾール-ハッサケ-カミシリ

地方の県庁を訪問するためシリア東北部へ出かけた。これまでのシリア滞在ではダマスカス、 若しくはラタキア、そして、そこから小旅行へ出かけるといったパターンが多かったので今回の ような東北地方を巡るのは初めてとなった。

何年か前にパルミラへ行った印象からかそれより先は土漠のイメージだったがユーフラテスの水のめぐみで大農業地帯が地平線のかなたまで 広がっていた。特に春先ということもあり、一面の緑の大地と青い空、そしてマッドレンガ色の集落が印象的だった。

イドリブのジョーク 

イドリブは、アレッポの手前、ルート上なので立ち寄ることにした。イドリブはオリーブの産地。 ここでイドリブの人を揶揄した話を聞いた。

もしも1万ドルの札束が地面に落ちているのを見つけても、そのまま腰をかがめて拾わないこと。 この意味は?男だけに適用される。つまり、おかまちゃんが多いということらしいが、真偽の程は 不明なり。

町の周りはオリーブ、オリーブ、オリーブ、とにかくオリーブ畑が一面に広がっていた。 オリーブとオカマ?

アレッポからラッカへ

延々と穀倉地帯を走る。途中、車の電気系統の調子が悪いことが判明、ヘッドライト が点かない、よって日没までにデルゾールまで走りたいとドライバーから言われた。しかし、デルゾールへ 着いても修理はしなくてはならないので、ラッカ県の県庁所在地ラッカに立ち寄り修理することにした。

修理屋は、町の人に聞いたら直ぐにわかった。修理工場ばかりかたまっている地区があり、電気系統の専門業者を探す。2-3件あたるうちに業者が見つかりそこへ移動した。

その修理工場は、親方、工員、そして見習いが 2−3人の小さな工場だったが、分業化されているのか電気系統については直ぐに原因を特定し、修理に取り掛かった。

どうやら、ダイナモがいかれていたようだ。乗っていた車は韓国製のバン、韓国車はここが弱いらしくよく修理が多いようだった。幸い、ダイナモの在庫もあり、手際よく交換し、暗闇のなかを デルゾールまで走った。

夜であったが、ラッカにはバグダット門や著名な遺跡が残っており、ひととおり廻ってもらった が、暗くてよく見えないことと、予備知識がないことから次回の楽しみに取っておいた。

ユーフラテス川とデルゾール

デルゾールではシャムホテルに泊まった。町のやや郊外、ユーフラテス川辺に立地していた。夕飯には間に合う時間だったので、町の中心に近いユーフラテス川沿いのレストランへ入った。 ドライバーが心得ていて、良いレストランを選んでくれた。注文したのはシシケバブだったかローストチキンだっただろうか、とにかく長旅の疲れを癒しつつくつろぎ、水タバコを吹かした。

朝、起きて窓の外を眺めると、ユーフラテス川の緩やかな蛇行が一望できた。残念ながら窓が 開かなかったので、窓越しにシャッターを切った。泊まったシャムホテルは、地方にあっては設備の整ったホテル、近くの油田地帯で働く人たちが多く利用しているとのことだった。

打合せの後、昨晩のレストラン近くへ行ってみた。レストランから見えた吊り橋は、フランス 統治時代に建設された歩行者専用橋だった。美しいシェイプを持ち、対岸に立地する大学へ通学 する学生をよく利用していた。女学生にカメラを向けると恥じらうように顔をそむけた。橋の袂では 軍服を着て記念撮影をする人も見かけた。

橋からはのんびりとユーフラテス川の流れを望み、中ノ島付近の川面には水鳥がたわむれていた。 この水量豊かな川の恵みは乾燥しているこの地においては卓越した恵みなのだろう。

油田を見学、そして泊まる

モハメドの計らいよって、油田のゲストハウスに泊まることになった。ハッサケの手前と ハッサケから更に東のイラク国境へ向った二つの油田に滞在した。このトリップに先立ち、公式書類でリクエストして承認を得た。その際、Deputy General Managerにあって主旨を説明、快く受け入れて もらった。これは、愛すべきモハメッドの顔の広さの賜と言えるだろう。

ハッサケの手前の油田では、四輪駆動車に乗り換え、油田から出るガスの再利用プラントを見学、 ルーマニアの技術だと説明があった。ガスは地中へ戻すものとパイプラインでホムス石油精製所へ送られ るものと分けられていた。季節がよかったのであろう、油田地帯は一面のみどり、そこに原油を汲み上げる井戸がぽつんぽつんとみえ、ゆっくりと廻るウエイトが印象的だった。


ハッサケから更に東の油田は、イラクと国境を接していた。ここは、先の油田より大きく、一つの町のような印象だった。教育施設から病院まで全て揃っており、この中で生活が完結できるようになっていた。 ここでは上水を淡水化プラントによって製造し、各戸へ配水されていた。


この油田ではイラク国境まで足を伸ばした。緩やかな起伏が、ヒヨコ豆で緑一面に覆われている土地に 井戸が立ち並ぶ風景の中を四輪駆動車で走った。見通しの良い丘の上の井戸に車を止め、眼下を眺めると黒い井戸と白い井戸が見え、その向こうに車が走っていた。黒い井戸がシリア側、白い井戸がイラク 領内、車もイラク領内だと説明された。イラク戦争当時、イラクの戦車がシリア側で給油をしたとも話 していた。


油田のゲストハウスはいたって快適、朝夕食付きでこれまた至れりつくせり、他に食事するところがな いのでそうなのだろうが、油田の持て成しには頭が下がった。

ハッサケ-カブール川

本来の目的は油田ではなく、ハッサケだったが、油田では宿泊がてら貴重な経験をした。ハッサケの支局長は気さくな女性 で、英語も通じ市内の要所を案内してもらった。市内を流れるカブール川は春の季節、水が流れている が夏季には涸れる。カミシリ市役所に職員を出向させているので彼らに会うように薦められた。

カミシリとジャグジャグ川

カミシリはトルコとの国境の町であり、クルド人の町である。町の外れといっても市街地の延長のようだが、国境がありそこからトルコとなる。ここに住んでいる人たちは、トルコ領内と 同様クルド人が多い。彼らはクルド語を話し、アラビア語が通じないこともある。そして、町の中心 を流れているジャグジャグ川はトルコ領内に源流がある。

国内線フライト カミシリからダマスカスへ

今回は打合せが目的だったのでそれ以外へは行く時間的余裕がなかったのが残念、古代遺跡が 多いと聞いていた地域なので足を伸ばしたいところだった。その半面東北地方の都市を、それから、今回の地方出張は初の地区、初の国内線フライト搭乗となった。ハッサケには空港は なく、トルコ国境のカミシリの空港から小さなジェット機でダマスカスへ飛んだ。

隣に座った人はモロッコ系フランス人、イラクへ出張し、これからダマスカス経由でパリへ戻るという。イラクの西部はバグダッドへ行くより、カミシリからダマスカスへ入ったほうが楽だということだった。

(Feb.22, 2004)