シリア南部スウイダ、ダラーへ
シリア南部へVolvo S70を飛ばしてスエイダとダラーへ打合せに行った。スエイダの手前に旧火山が あり、そこだけ地形が突出していた。その影響なのか、火山岩が畑の中に多く見られ、それらを集めて敷地境界に沿って石が積まれ特徴ある景観となっていた。
また、スエイダは美人の産地としてシリアでは有名である。町の中心に車を止めたとき、スタイルの良い色白の女性がに何人も眼に入ってきた。
北に美人が多いと思っていたのだが、南にも美人が多い。これはどういうことなのだろうか?
ダラア
ダラアはヨルダン国境に近い町、かつてメッカ巡礼に使ったヒジャズ鉄道が今も運営されている。 ダラなのかダラアなのか正確なところ、日本語にするとわからないのだが、シリア人の発音から ダラアが近いのではと思う。正確にはダラァかもしれない。外務省ではダラと表記している。
打合せが長引いたので、ここでは長居せず、そのままダマスカスへ戻ってしまった。近くにボスラというローマ時代の円形劇場がある。この町も次回へ取っておくことにする。
ゴラン高原の町、クネイトラ
ダマスカスより1時間も車で走ればゴラン高原に到達する。ここは、第4次中東戦争でイスラエルに占領され、その占領区域の境界に沿って国連監視区域が設けられUNDOFその任にあたっている。自衛隊からも派遣され、シリア側及びイスラエル側に駐留している。
UNDOF監視区域とイスラエル占領区域の境界線上にクネイトラの町がる。現在は、その当時の様子をそのまま残すように銃撃戦の跡が残る廃墟が博物館のように保存されている。病院、教会に残る銃痕や爆破された映画館、民家など今もってその当時の凄まじかった様子を垣間見ることが出来る。この戦争当時の様子を残すことにしたのは前アサド大統領のアイディアだと聞く。
町外れまで行くと、鉄条網があり、その向こう側がイスラエル占領地区、鉄条網に沿って、UNDOFの施設があり、国連旗がはためいていた。鉄条網の向こう側の丘にはイスラエル側のレーダーサイトがあり、丘の麓は農地になっている。時折、車が走り去っていく。
新クネイトラ
旧クネイトラはこのような状況なので立ち入りが制限されている。クネイトラは、その手前、幹線道路に沿って新市街地を形成し、新クネイトラとして町が整備されている。自衛隊の宿舎もここにある。
で地方支局の人達と遅い昼食をここのレストランで取った。焼きたての石焼パンが美味しく、何枚か買って帰った。
シリア版トリュフ
シャーラーンを歩いていたら泥団子のようなものを大事そうに山積みにして売っているのに目が惹きつけられた。どうもきのこの一種らしい。マッシュルームかと聞くとそうだという。もしかして トリュフの一種ではなかろうか。フランスのはもっと色が黒いが形は同じようなもの。 3月の中旬ごろからシーズン、パルミラ周辺が産地だという。
アパートから物が消えた、メイドの仕業だろうか?
2月の後半にキャリーオンのカートに入れてあったあるものがないことに気がついた。どこかへ移したのかと思いそのままにしていたら、最近、また同じ場所にもう一つあったものが消えている。他の荷物を確認したら、この間買ってきたお土産の中が空になっていた。そして昨日シャワーを浴び、洗髪、リンスがないので手を伸ばしたらあるはずのところにリンスがない。フリーショップで買ってきたリンスなのだが。確かにバスルームにシャンプーと一緒に置いたのだ。
無くなったものはたいしたことはないが、なくなったことは非常に気分が悪い。いつもメイドが来た後だったので大家を呼んで事情を説明。そしたら、丁度物が無くなったころにメイドが替わっていたのだ。
最初の頃は気を付けていたのだが1ヶ月は何も起こらなかったので物をそのまま置いて出かけていた。毎回メイドには大家が付き添っていたこともあり、また、シリアではあまりこういうことはないので安心していたのだ。 用心に越したことは無いということか。
もう直ぐ、春
ダマスカス市内で、車に乗っていたらスイセンを売りにきた。これは春の訪れを表す縁起物なのだそうだ。花の香りがよく、私も、一束買ってアパートに飾った。
シリアは春が美しい。きっとこんなスイセンが咲き乱れている原っぱがどこかにあるのだろう。この季節、シリア人は、野原へピクニックに良く出かける。また、道端にも花が咲きドライブが楽しくなる。
(Mar.14, 2004)