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ラタキアへ2001年2月−6月

2001年2月-2001年8月、今回のプロジェクトでシリアでの経験が3案件となった。このときの仕事は地中海沿岸の都市ラタキア と内陸のホムスの二つの都市が対象だった。そして、本省のあるダマスカスと3箇所をよく移動した。ラタキアにアパートを借りたこともあって多くの時間をラタキアで過ごした。

ラタキアへは、迎えに来ていた旧知のモハメッドと車で向った。途中ホムスの事務所に立ち寄ったが正味4時間程度で到着した。このルート、道路の状態がいいので高速道路と同じように 時速100キロ程度で走れる。

シリアの地中海

ラタキアは地中海に面する港湾都市、フェニキア人が造ったとされ、郊外にはウガリットという アルファベットの原型が出土した遺跡が存在し、歴史的な資源が豊富な土地だ。

 海はなんとなく落ち着く。そして和む。調査団事務所はラタキア市役所の3階、窓からはラタキア港と地中海が少しだけ眺められた。

リゾートホテル生活

最初、メリディアンホテルラタキアという街からやや遠い観光地区にあるホテルに泊まっていた。 遠いといっても車で10−15分程度なのだが。ここは目の前が砂浜で、リゾートとしては申し分がないが仕事をしながらではやや落ちつかない。 3月は閑散としていたが6月頃から客が多くなり湾岸諸国から観光客が目立った。 

部屋からは地中海の青い海が毎日望め、爽やかな風が部屋の中まで届いた。気分が晴れるような ホテル住まいだった。しかし、この地区はホテルか別荘しかないところなので私の趣味にあわず、しばらくして 街中のホテルへ引っ越した。

街中のホテル-リビエラ

引っ越した先は観光局の前に建つこじんまりとしたホテル。名前はリビエラというリゾートっ ぽい名称だけどビジネスホテルという印象。メリディアンから比べればかなり質が落ちたが、 それはそれ、アットホームな感じで結構たのしんだ。一点だけ気になったのが騒音、ホテルの前が幹線道路だったのでこれにはやや悩まされた。しかし、歩いて街中まで買い物がてらでかけられたのは都合が良かった。

地中海を望むアパート生活

2月、3月はホテル住まいだったが、次はアパートに住もうと思っていた。3−4のアパートを見て、 その中で一番高かったが、何も要求しなくても直ぐに住めそうなアパートを選んだ。一人では完全に持て余す広 さで3部屋+2リビング+1ダイニング+キッチン+バス・トイレであった。トイレはキッチンの横に もう一つアラブ式がついていた。建物は10数階建ての8階だっただろうか。眺めは非情に良かった。 夕方になると海風が結構強く、窓は締めていないと寒くなるほどだった。

アパートの前の海岸通は、夜になると夕涼みの市民が多くなり、出店がでて賑わっていた。

ラタキアの食事

アパートの前に海に面した崖線に張り付くようにレストランがあった。必然的にレストランの前は地中海という 絶景の場所になる。いつも混んでいてなかなかいい席に巡り合えなかったが座れればよかった。とい うのは、このレストランは料理が美味かったからだ。 私のお気に入りだったのはローストチキン。どう説明していいやら、酸っぱいソースがかかっていた。 これが絶妙のバランスなのだ。それから、魚がいつも豊富にあった。キッチンへ行って魚を選んで 料理してもらう。料理方法は焼くか揚げるかの二通り。よくタイやカマスが入荷しており、 ディープフライや塩焼きにしてもらった。

このレストランの一つの難点はアルコール類を出さないこと。私はあまり飲まないのでまったく 問題なかったが、一緒だった日本人はそれで敬遠していた。だから、シリア人のスタッフとよく行った。

ラタキアのひとたち

ダマスカスの人に言わせるとラタキアは人種違うとよくいう。女性でスカーフをしているひとは少なく、かなりオープンだ。金髪や青い眼も多い。そして物事の考え方がラタキア独特のものがある らしい。短い期間の生活だけではわからなかったがラタキア志向が強いという印象かな。

十字軍の砦、ギリシャ遺跡Armit、ローマ円形劇場、そしてArwad Island

地中海沿岸には遺跡が多い。アルファベットの原型となった楔形文字が発掘されたウガリット遺跡、ギリシャ時代と思われるArmit、ローマ時代の円形劇場(Jable)、十字軍時代のクラック・デ・シュバリエ、マルカブ、エジプトでマルムーク朝を起こしたアラブの盟友(クルド人)サラディーン城、タルトゥースの沖合いに浮かぶArwad Islandなど見所が多い。可能な限り、休みを利用 して出かけた。

ヤヒアの別荘

カウンターパートのヤヒアさんの別荘がラタキアからアレッポへ行く途中の山の上にあり、 休日に調査団員が招待された。3月末だったので畑ではアーモンドなどの果樹が萌芽しつつあり、 畦にはカタクリの花が咲き乱れていた。春先のシリアは一年を通して一番美しい。

季節の果物

シリアは果物が美味しい。ブラックチェリー、メロン、スイカ、イチジク、ブドウなど季節の 果物は豊富にあった。スイカは比較的シーズンが長く、また、水代わりによく食べた。

ブラックチェリーはシリアの高原で栽培されている。キロ単位なのでかなりの量になる。 ドライバーに買い物をお願いしたら一箱(3kg詰め)を買ってきた。かなりの量があったが直ぐになくなってしまった。

ホムスへ通勤

このときは仕事先がラタキアとホムスの2ヶ所あった。仕事の配分からラタキアでアパート を借りていたので週に1回か2回ホムスへ通勤した。時にはホムスで泊まった。通勤時間は車で2時間程度だった。

ホムスの教授たち

ホムスにはバース大学がある。Baathというのはアラビア語で”再生”とか”復興”という意味がある。この大学の名前はシリアの与党バース党に由来しているのだろう。 調査の中でこの大学の教授たちと付き合うことになったのだが・・・。

AdnanGhataという化学の教授が印象深い。帰るときにポータブルアルギーレをプレゼントされた。

Sossiの結婚式

3月までラタキアの調査団事務所で働いていたSossiが7月に結婚することになった。 丁度ラタキアに滞在していたこともあり招待された。彼女はアルメニア人、新郎はラタキアの北、トルコ国境の町、ケサッブ出身なのでそこで結婚式を挙げた。挙式は当日アレッポへ行っていたので披露宴から出席した。ラタキアでは暑かったがケサッブでは夜になりかな り冷え込んできたのを覚えている。披露宴ではアルメニアンダンス、ダンスの連続、夜が更けるまで宴会が続いた。

アルメニア人は、土地を言われた人が多く、本国より外国に住んでいるアルメニア人のが多いと聞く。結婚式にはカナダから親戚縁者が駆けつけていた。