ゴラン高原の町、クネイトラ- Quneitra and The Golan Hight
ゴラン高原に位置するクネイトラ県の県庁所在地クネイトラ、1967年の第3次中東戦争の際、イスラエルが攻めて来たため、シリア軍が退却する際、町を破壊。現在でもそのままの状態で保存されている。壁にはそのときの銃痕が生々しく残る。
現在のクネイトラは旧うクネイトラからは手前にあり、旧クネイトラ市街地が、国連監視地帯、実質国境となっている。有刺鉄線を螺旋状に巻いた境界の外側には朽ちた自動車が放置されていた。その向こうには果樹だろう畑が広がり車が走っているのが容易に見通せる。
道路沿いに付設された有刺鉄線に沿って視線を変えると、国連旗がはためくゲイトらしき施設が見え、時折走り去る国連の車が吸い込まれていく。有刺鉄線の向こう側には丘があり、イスラエルのレーダーサイトがこちらを睨んでいる。(2004年2月)
Quneitra City 1967 | Israeli Settlements in Golan Hights 1992 |
Israel-Syria Demilitalized Zone 1949 |
The Golan Hights under Israeli Occupation |
Old Quneitra 旧クネイトラ市街
クネイトラ市は監視地帯の真ん中に位置する。
クナイトラを破壊したのはどちらか?
筆者がシリア人から聞いたこととシリアで入手したリーフレットによれば、シリア軍が撤退する時に自ら街を破壊して撤退したとの説明であったが、最近読んだ「シリア アサド政権の40年史」には、以下のようにイスラエル軍がクネイトラ市から撤退するときに破壊工作をおこなったとある。
”イスラエルは同市(クネイトラ)から撤退する時潔くなかった。ありとあらゆるものをブルドーザーで破壊し、爆弾を仕掛けて爆破し、廃墟にして去った。”(pp166)
旧クネイトラ(監視地区)から望む丘の上はイスラエルのレーダーサイト
Old Quneitraと監視地区
Old Quneitraから山の上にあるイスラエルのレーダーサイトを望む。
ゴラン高原における国連兵力引き離し監視隊の一員としての自衛隊の活動(UNDOF:United Nations Disengagement Observer Force)
1996年からゴラン高原へ自衛隊がUNDOF(国連兵力引き離し監視隊)の一員として(ゴラン高原国際平和協力業務)司令部へ2名、輸送部隊として43名が派遣されている。輸送の本部はイスラエル側ジウアニ宿営地に本部を置き、司令部はシリア側ファウアール宿営地に本部を置いている。また、 イスラエル及びシリアへ連絡調整要員として内閣府から2-3名を派遣している。彼らは6ヶ月ごとに交代している。
2004年の3月にクネイトラの国連漢詩地区(旧クネイトラ)へ入ったときにゲートで自衛隊員の敬礼を受けた。何らかの連絡が入っていたのだろう、至って平和的な雰囲気だった。
もう一つ思い出すのが1998年暮れのダマスカスでの日本人会忘年会でのこと、ゴラン高原からダマスカスまでこのために出向いてきていた。部隊長より自衛隊のゴラン高原における活動の紹介があり、その後、余興を見せていただいた。彼らの多芸には目を見張るばかりであった。
シリア情勢の悪化により2012年12月で活動終了。
UNDOF:United Nations Disengagement Observer Force
UNDOF(United Nations Disengagement Observer Force) 国連兵力引き離し監視隊
UNDOF(国連兵力引き離し監視隊)は、国連安全保障理事会決議350(1974)により1974年3月31日に設立された。