Palmyra パルミラ
シリア国内でも最大規模の歴史的遺構、パルミラ。かつてはゼノビア女王が治めエジプトの一部も支配下に置いた、シルクロードの要衝の地として繁栄した、だが、ローマに歯向かい、ゼノビア女王はわずか7年、AD272年に滅ぼされた。パルミラは英語名で、アラビア語ではTadmor、その後、歴史に名を残していない。
In the middle of the Syrian Desert is without doubt the most beautiful and
magnificent of the Syrian historic sites, Palmyra. This Arab commercial
metropolis, which has now turned pink with age, used to be on the old Silk Road.
1998年3月
- シリア・パルミラ遺跡学術調査について((財)なら・シルクロード博記念国際交流財団、現シルクロード研究センター、奈良県)
- 隊商都市パルミラ遺跡東南墓地の調査パンフレット
春先のパルミラ、1998年3月
休みがほとんどないと思っていたら思いがけず団長夫妻への同伴という名目でパルミラへ行くことになった。ダマスカスから約250キロの距離、運転手付きのレンタカー(Volvo 250GL)でパルミラへ向かった。
シリアは2回目だったが、まだダマスカスで仕事を始めたばかりでシリアのことはほとんど情報が蓄積されていない、オアシス都市パルミラとだけしか予備知識がなかったが、存分に楽しんだ。
考古学庁に勤務していたNADAの計らいで
パルミラ
アケメネス朝ペルシャから覇権を奪い取ったマケドニア王国のアレクサンドロス大王が紀元前323年に没すると、ディアドコイ戦争と呼ばれる後継者争いが勃発した。セレウコス朝がシリアを奪った際、パルミラは自治に委ねられ、後には独立した。
8年ぶり、2006年11月のパルミラ
8年経ったからといってそれほど変わるものではないと思っていたら、変化はあった、ゼノビアが7年しか持たなかったのでそりゃそうだと勝手に納得。
パルミラの天候